1960-70年代の音楽関係者の口寄せ専門だという潮来の指太郎さんにお願いして、The Iveys のmanagerだった Bill Collins さんを呼びだしていただきました。
 
Bill Collins    June 21, 1913 - August 12, 2002 (aged 89)  
 
コリンズさん、お忙しいところわざわざ日本までお越しいただき、ありがとうございます。
「いやいや、日本には来たかったんだよ。特に水郷の潮来とか恐山とか青木ヶ原とか。で、アイビーズのこと? 聞きたいの?」
ぜひお願いします。
「うん。でももうだいぶ前のことだし、いろいろあったし、ワシも死んじゃったし、記憶も混乱したり忘れたりしたことがあると思うけど、なんでも聞いてよ」
new_Bill Collins BBC
アイビーズのマネージャーになったのはどんなきっかけからですか?
「は? マネージャー? ワシはマネージャーじゃないよ。ま、いうなれば坊主どもにとってワシは音楽の師だな。先生だよ」
は? でもマネージャーだったんでしょ?
「は? じゃないよ。違うの。坊主どもにはマネージャーはいなかったの。それでしかたなくワシがマネージャーの真似事はしたけど、実際は音楽を教えてたの」
そういえば、ピアニストでしたよね?
「うん。ピアノを弾いてた。サキソフォンも吹いてたし。まぁほとんどの楽器はできるよ。ギター以外なら」
歌も?
「もちろん。ワシらの時代はビング・クロスビーの時代でな」
ポール・マッカートニーのお父さんとも親しかった?
「ああ、ジムだね。彼はワシよりちょっと古いね。ジムは20年代の音楽、ワシは30年代の音楽だね」
それがどうしてロックンロールの世界に?
「息子のルー [ルイス・コリンズ のち俳優] がポール・マッカートニーの弟のマイクの親友でな。マイクはよくルーを連れてキャバーンに出かけていたんだよ。それでビートルズの話題が出て、ワシもどんなもんなのかとちょっと見に行ってみたんだ」
どうでした?
「本当にやばかった。それでキャバーン以外にも見に行ったよ。もう夢中になったね。周りはみんな10代の若者で、ワシは50過ぎのじいさんだったけど、ほんと楽しかったよ。おかげで心も身体もヤング!って感じ。もう50年も前のことだけど、今でもよく思い出すよ」
 
で、アイビーズとの出会いの件ですが
「あ、あれはね、ルーがベースを弾いていたモージョスというバンドがサウスウェールズで演奏したんだよ。その時の前座がアイビーズだった。いいバンドだと思ったね、アイビーズは。それで坊主どもを楽屋に集めて言ったんだ」
Bill Collins Iveys 1966
「お前らはいいバンドだな。成功したいなら一つだけ道があるよ って」
どんな方法?
「当時、1966年だな、当時は誰もそんなこと考えていなかったけど、ワシはその数年前から思っていたことを坊主どもに言ったんだ」
なんて?
「プロになりたいなら、自分たちで曲を作れるようになれ って」
彼らの反応は?
「ピートは、曲ならちょっと作ったことあるよ って言った。本当かどうかわからないけどな。それで坊主どもに言ったんだ。ここにいてもプロにはなれないぞ。お前らはレコードの作り方もわからないし、どうやって作曲するかも知らない。そういうことは全部ワシが教えてやる。一緒にロンドンへ来るか?」
来たの?
「いや、即決はしなかった。だけど、その後も連絡は取っていたよ。それで半年後にデビッド・ギャリックという若いののバックバンドにアイビーズを使ったんだ」
 
デビッド・ギャリックという若いのもマネージメントしてた?
「いやいや、キンクスのロード・マネージャーをほんの3週間ばかりしていた時にキンクスの事務所で会ったんだよ」
あれ? マネージャーじゃないって最初に力説してたのに、その割にいろいろとマネージャーしてるんだ
「バイトのようなもんだな。生活しなきゃならないし」
それでアイビーズを呼んだ?
「事務所でキンクスのマネージャーのロバート・ウェイスがギャリックのバックバンドを探してる っていうんだよ。ミック・ジャガーが書いたレディ・ジェーンのカバー・シングルがヒットしかかっていた頃だね」
それでアイビーズを呼んだ!
「ワシが それならぴったしのバンドを知ってるんだが、使ってみるかい? 奴らはスウォンジーでプロを目指しているバンドなんだ って紹介したら、早速オーディションをして、決定」
Bill Collins Iveys Garrick Mojos
それでアイビーズを呼んだ?!
「うん。アイビーズの演奏を見たウェイスたちは、バックバンドとしてだけでなく単独でもレコーディング契約できるんじゃないか って言ってたな。ワシは仕事が何も決まってない状態では坊主どもをロンドンに連れて来たくなかったんだ。だからそれを契機に上京させることにしたんだよ」
その後、デビッド・ギャリックという若いののレコードにもアイビーズは参加した?
「一緒にやったのは小さなツアーを5ヶ月間に6回だけだよ。合わせてもショーを20回ほどだね。レコーディングには参加してないよ」
 
アイビーズとはロンドンで一緒に暮らした?
「そうだよ。ゴルダーズ・グリーンの我が家でね。既に住んでいたモージョスの連中に加えてアイビーズの4人だから、もうキャンプ状態だったよ。それでしばらくしてモージョスには引き払ってもらって、アイビーズのために録音用の部屋を作ったんだ。ピアノやテープレコーダーやその他必要な物をそろえてね」
その時はもう自分たちで曲を作っていた?
「いや、上京してから最初の曲を書かせるまでに半年はかかったね」
最初に完成した曲は何?
「わかんない」
えぇぇぇぇ?!
「だってなぁ、そこでは200曲から300曲は録音したからなぁ。もう50年近く前のことだし、いろいろあったし、ワシも死んじゃったし、記憶もこんがらがってるし」
でも、最初の曲ぐらい覚えてない?
「忘れた」
えぇぇぇぇ!?
「たしかな、ある夜、11時頃だったな、なんか適当な歌詞を思いついてなぁ。あの娘から手紙が来てどうのこうの って感じの歌詞を」
思いついたのはコリンズさん?
「うん。それで坊主どもにお手本を見せてやろうと、朝までかけてひとりで録音したんだ。ルボックスのテープレコーダーで。こんな感じのやつだったな」
Revox G36 reel-to-reel tape deck
「多重録音できるやつね。録音したらそれをひとつのトラックにまとめてダビング。そして空いたトラックにまた録音ってやるんだ。それを朝まで続けた」
みんなの感想は?
「朝、坊主どもを集合させて、完成した曲を聴かせたんだ。というか、完成しなかったんだがな。初めてだから操作に慣れてないし、中途半端に終わって。で、一応できたところまで聴かせた」
で、感想は?
「みんな笑った。しばらく笑わせて、その後ワシはこう言った。坊主ども、口を閉じろ! お前たちがこれよりもまともな曲を作ったら、その時に好きなだけ笑わせてやる。作ろうともしないでヘラヘラするな」
それで?
「それ以後、坊主どもの様子が変わったんだ。一歩前進したんだな」
ふ~ん
「しばらくたった、ある朝の6時頃、ピートが部屋に来て言ったんだ。ビル、1曲できたよ って」
やっぱり最初はピートだったんだ
「おぉ、でかしたな坊主。それじゃ聴かせてくれよ ってことで、ワシはパジャマを着たまま録音ルームへ行ってピートが作った曲を聴いた」
曲名は?
「もう思い出せない。なんかよく子供が作るような変てこで、たわいない歌だったよ。で、ピートに言ってやったんだ。うん、いい曲だ。このままどんどん曲を作っていけばもっともっといい曲ができるぞ って」
ほめて伸ばすんですね
「実際そこで、2年も経たないうちに200曲以上テープにデモ録音したんだよ。その第一歩さ」
 
トムはどうやって見つけた?
「リズムギターのデイブ・ジェンキンスが辞めたので、最初はスウォンジー近辺で代わりの者を探したんだ。でも見つからなかったので、ワシの地元のリバプールで探すことにした。それでキャバーンに行って誰かいないかと見ていたら、カルダーストーンズというバンドが出てきたんだ。真ん中の黒い髪の奴が心地良く歌って、楽しそうに笑ったり、見ている女の子たちに話しかけたりしてな。歌もうまかったし、リズムギターも弾いていた。それがトミーだった」
 
マネージャーのことですけど、結局スタン・ポリーがビジネスマネージャーになりましたよね
「ワシはもともと音楽家だから、金儲けのことはあまり得意じゃないんだよ。しかたなくマネージャーみたいなことをやっていたけど、それも徐々に負担になってきたので、ビジネスマネージャーをつけることにしたんだ」
それでポリーに?
「いや、最初はギャリックの時にも話に出てきたキンクスのマネージャーのロバート・ウェイスがマネージしたいと申し出てきたんだ。彼はワシをパーソナルマネージャーにして、自分がビジネスマネージャーをやりたいと。取り分はふたりで10%ずつ。残り80%はバンドメンバー」
それでよさそうだけど、なにか問題でも?
「坊主どもに話したら、そんなのダメだ って。奴らはワシにマネージャーを続けてもらいたいんだと。そうは言ってもワシは音楽には詳しくても、契約関係には疎い。ビジネスマンじゃないしな」
 
お帰りの時間も迫ってまいりましたようなので
「そうなの? それじゃ今回は終わりとしよう。次は樹海でどうかな?」
次回は樹海で!
「いいとも!」
 

★★★