Badfinger covers

バッドフィンガー Badfinger の周辺をいろいろと... Badfinger の曲をカバーした人とか、ちょっと関わった人とか 外周を遠回りに巡ってます

誰も知らない






[謎] Badfinger - Know One Knows (1975)

バッドフィンガー Badfinger - Know One Knows 誰も知らない (WB: P-1356W) 1975-02-25 発売
 
この日本だけのシングル盤には謎がいくつかある。ひょっとして、発売の2ヶ月後に亡くなったピート・ハムの呪いか?と思っている人がいたらメールください。たぶん、レコード会社の単純ミスです。
1979年の再結成に便乗して在庫整理とかないよね? (1975年の発売直後に買った人によると、盤はエレクトラの方だったとのこと) 
 
Regular WB label design 
Know One Knows WB

Elektra label design also exists 
Know One Knows Elektra
Both are exactly the same except for label design. Side B is "Just a Chance" (notation is "Your So Fine"). 
 
 
 
 [謎] Badfinger - Know One Knows b/w Just a Chance (1975) 

 [Hit Chart / Radio Survey] Badfinger - Know One Knows 

 [謎] Badfinger - Day After Day b/w Suitcase (1972) 


[謎] Badfinger - Know One Knows b/w Just a Chance (1975)

バッドフィンガー Badfinger - Know One Knows 誰も知らない (WB: P-1356W) 1975-02-25 発売 P-1356W
A面は問題ないのだが 
Side: A.   Know One Knows 3:13 
P-1356W Know One Knows
B面が謎 
Side: B.   The actual song is "Just a Chance" 2:56 
P-1356W Just a Chance
表記とは異なり、実際に収録されている曲は これがチャンス Just a Chance 2:56 
 
 
1991年にワーナーのアルバムがCD化された時、バッドフィンガー同好会からワーナー洋楽部の人に直接質問した際の回答は 「当時の担当者がいないので分からないが、たぶんチェックもれ」とのことだった。 
 
予定ではB面は 素敵な君 Your So Fine のはずだったけど、チェックもれで間違って これがチャンス Just a Chance を入れてしまったのか、その逆なのか、どちらなんだろう? 

Wish You Were Here 1

LPでの収録時間 2:56は Just a Chance だから、B面曲の収録時間表示は Just a Chance のものみたいだけど、そうなると、タイトルの書き間違い? 
 
1991年当時にはまだ知らなかったことだけど、アメリカWBには Just a Chance b/w Got to Get Out of Here  のテストプレス盤(1975年2月19日発売予定日? テストプレス盤を作った日?)が1枚保管されているらしい。
 
この点を考慮して創作すると 
 
日本のみ独自に 誰も知らない Know One Knows b/w これがチャンス Just a Chance のシングル発売を企画。アメリカから許可。プレス完了直後、アメリカでのシングル予定が  Just a Chance b/w Got to Get Out of Here との情報入手。 
 
急遽B面曲を 素敵な君 Your So Fine に差し替え決定(日本での第二弾シングルも これがチャンス Just a Chance b/w もう会いたくない Got to Get Out of Here に仮決定)。レーベルとスリーブ印刷はまだだったので、原稿の曲名部分だけ変更指示し、完成。
 
盤は完成済みだったので、お偉いさんから差し替え許可降りず。そのまま発売に。 
あわてて変更指示したのでチェックもれで、収録時間表示は 元のまま。 
 
誰か、日本での第二弾シングル これがチャンス Just a Chance b/w もう会いたくない Got to Get Out of Here のスリーブを作ってください。 
 
 
 
 [謎] Badfinger - Know One Knows (1975) 

 [Hit Chart / Radio Survey] Badfinger - Know One Knows 

 [謎] Badfinger - Day After Day b/w Suitcase (1972) 


加藤ミカ / バッドフィンガー Badfinger Wish You Were Here 素敵な君 (1974)

バッドフィンガー Badfinger のこのアルバムはワインとブランディーとビールで
めでたく出来あがりました。    加藤ミカ Mika  
 
今年(1974年)の二月中旬にたった一人で羽田に白いジャケットを着たクリス・トーマス Chris Thomas が来た。その頃の彼の最大のトラブルは、バッドフィンガー Badfinger と ジョン・ケール John Cale と ミカバンド Sadistic Mika Band の三つのバンドをどの順番にプロデュースするかであった。この頃 ジョン・ケール John Cale はスタジオをとっていた。でも、どういうわけかまず一番初めに ミカバンド Mika Band をプロデュースすることに彼はきめて、そして翌日の電報で次はバッドフィンガー Badfinger をプロデュースすることにした。もちろん彼らのマネジャーのお手柄だと私は思う。 
 
白いジャケットを着たクリス・トーマス Chris Thomas  が、和服に着替えた時 
白いジャケットを着たクリス・トーマス
録音は ミカバンド Mika Band と同時に今年の二月から六月終りまでかかって出来上がったのです。四月に ミカバンド Mika Band を一時やめてアメリカはデンバーのコロラドにあるカリブ Caribou Ranch というところ でやった。もちろん シカゴ Chicago などのジャケットでおわかりのように、とてもきれいなところである。約一ヶ月のレコーディングのあと又日本へ クリス Chris はもどってきた。もちろん バッドフィンガー Badfinger は全然終っていない。そしてその時、数曲のカラオケを主人のトノバンと聞いた。とてもいい曲だと思った。本当に。 
 
カリブ Caribou Ranch というところ のスタジオ(1974年当時) 
The recording studio at Caribou Ranch 1974

そして ミカバンド Mika Band のあと又、ロンドンのエアー・スタジオ AIR Studios で再び バッドフィンガー Badfinger のレコーディングが始まった。確か5曲か6曲しか出来ていなかったのを覚えている。私はひとりで、ロンドンへ六月に遊びに行ってみた。クリス Chris からスタジオに来ないかといわれて、それ以来、バッドフィンガー Badfinger のメンバーとすっかり仲よくなって毎晩スタジオでさわいでいました。日本もロンドンもミュージシャンはいっしょだなーと思った。と言うのは、彼らはまっ昼間からビールとブランディーをチャンポンにしたやつを飲みまくり、スタジオの中もミキサー・ルームもまるでバーにでもいったようにあちこちにビンがある。でも演奏の方はその方がむしろのりがあっていいようだ。 
 
エアー・スタジオ
 AIR Studios (1975年当時) 
Air 1975
ロンドンはパブがいっぱいあるから、メンバーは、クリス Chris がピンポンする(他のチャンネルに音をうつす作業)間にすぐにパブに行ってしまうのです。ある夜、私と クリス Chris で日本食を食べに行って戻ってみると誰もいない。エンジニアのビル・プライス Bill Price がひとりいるだけ。いくらまっても戻って来ないので、じゃ三人でやってしまおうといって、クリス Chris がピアノのダビングをして、私が クリス Chris の代りにプロデューサーになって、ビル Bill とわいわいさわぎながらやったことがある。 
 
ビル・プライス Bill Price  ニルソン Nilsson の Without You のミキシングをした時 
 
メンバーはウェールズ・アクセントの英語 Welsh English で何がなんだかさっぱりとわからない。それに トミー Tommy なんかはいつもお酒でへろへろ、奥さんはドイツ人で二人の会話の50パーセントは "Pardon?" でまるで話にならない。奥さんはポルシェ911のタルガ Porsche 911 Targa にのっていて、

よっぱらい運転で飛ばしまくるのです。マイク Mike は左ききでドラム・セットが全部逆になっているし、とても細いのでライヴの時用に毎日練習しています。おまけに ミカ Mika の似顔絵なんか書いてくれて、それがそっくりで、一日中新聞のクロス・パズルをやっている人です。ジョイ Joey は目が大きすぎで、寝不足の日にスタジオに来るとしょっ中鏡で目の廻りを指で何やらかいているのかどうか知らないけど、そのことばかりを気にしている。昔、ゲイリー・ウォーカーとレイン Gary Walker & The Rain で日本に来たことがあって ミカ Mika に川崎方面の話をさかんにしたがる。ああ思い出した、プロコルハルム Procol Harum のゲイリー・ブルッカー Gary Brooker もそのことばかりを ミカ Mika に話していた。 
 
ウェールズ・アクセントの英語 Welsh English 

ポルシェ911のタルガ  Porsche 911T Targa 1972 
 
川崎方面プロコルハルム Procol Harum 1972年初来日 東京・大阪公演(川崎方面を気に入る)   2003年再来日 東京・川崎・大阪公演 
 
最後にピーと皆んながよんでいる ピート Pete は、二週間毎日逢っていても何も話さない人で、女ぎらいらしく男の方がいいのかなと思って他のメンバーに聞いたら、可愛いい女の子と一緒に住んでいるらしい。彼の作る曲はいつもいいのばかり、「ウィズアウト・ユー Without You」を筆頭にどのレコードの曲も一番 ミカ Mika の好きな曲ばかりです。 
 
その話ぎらいの ピー Pete がある日、ミカ Mika に "たのみたいことがあるんだけれど" といって、巾5センチはあると思われるノートを持ち出して、そしてこの曲を日本語に訳してくれっていうのでお手伝いをしたところ、クリス Chris が何か トミー Tommy と相談していて、ミカバンド Sadistic Mika Band のあの最初の曲の様に話し声でちょっと読んでくれというので読んだところ、 "OK 録音したから" っていったの。あっというまの出来ごとで、これをシングル・カットし、アメリカ用にするとさわいでいるではありませんか。 
 
ミカ Mika の朗読を入れる前の 誰も知らない Know One Knows 
 
ミカバンド Sadistic Mika Band のあの最初の曲 
 
その次の日又メンバーがパブからよっぱらって戻って来た時、ジョン・ケール John Cale が遊びに来たのです。彼の奥さんと友達なので彼女のことを話したらケンカをして頭にきたのでここに来たという。そして三時間あまり息をつくひまもなく、クリス Chris にアレンジのことをしゃべりまくる。その間メンバーは誰も口を出すひまもなく全員、あっけにとられてもちろん ビル Bill もびっくりしていたけど、ブラス・セクションのこととか話している。この時 バッドフィンガー Badfinger はジョン John と初めて会ったらしく彼の迫力にすっかりとみせられていたようである。 
 
もう一つ面白いことは、イギリスではサッカーがものすごい人気で クリス Chris は "今日はまだ一曲も出来ないし今日はもう帰る" とわめいている。どうしたのかなとたずねると夜はテレビでサッカーがあるからレコーディングする人は誰もいないという。まさかと思ったら、本当にスタジオのテレビ室には、モット・ザ・フープル Mott the Hoople の連中もレコーディング中止でやって来たし、スパークス Sparks の連中ものぞいて行くし、一度もテレビを見なかったのは2スタでやっていた ブライアン・フェリー Bryan Ferry だけで、あとはものすごい量のビールをのんで、トミー Tommy の奥さんはドイツ・チームの肩をもってイギリス・チームに負けたといってわめきちらして、気がついたらレコードは出来上っていたのです。 
 
このアルバムはワインの一ぱいでものんで聞くと最高だと ミカ Mika からおすすめしたいと思います。 かんぱい!! 
 
 
 
ジョーイ Joey 談 (1991/02/09 来日時) 
Badfinger - Wish You Were Here
このジャケット写真は、ナイトクラブを借りて撮影したんだけど、ちょっと飲み過ぎちゃってね。トミー Tommy なんて見ての通り本当に酔いつぶれちゃうし。撮影後もみんなこの衣装のまま、本物の水兵さんになりきってパブへ飲みに行ったんだ。すごくおもしろかったよ。 
 
ジョーイ Joey 談 (1999/03/23 来日時)  
クリス・トーマス Chris Thomas が ミカバンド Sadistic Mika Band をプロデュースすることになって、ミカ Mika はそのレコードのためにロンドンにいたんだ。そのとき僕らがレコーディングしてたのが 誰も知らない Know One Knows だった。それで僕が、歌詞を日本語にして入れたらどうかって提案したんだ。それは、日本語がほんとにきれいに聞こえたからね。言語として聞こえる音がとても美しいと感じたんだよ。 みんなも気に入ったよ。レコードを作るときっていうのは、なにか新しいもの、変わったものをやろうってことを考えているし、僕のアイデアにはみんな賛成だった。たまたま クリス Chris がバッドフィンガー Badfinger とミカバンド Sadistic Mika Band を同時にプロデュースしてた時期だったからそういう状況になったんだけど、それから ミカ Mika には一回も会ってないな。 
 
ミカ Mika 談 (1995/03/06 ラジオ出演時) 
アルバムジャケットには Japan の Steve Jansen の当時のガールフレンド Sheila Rock が映っています。ハワイ出身の日系ですが、日本語はまるでダメでした。

 
 
週刊NY生活 2013年12月14日(土)   
小田裕一郎の音ネタ日記33 数々の名曲を世に送り出した才能の塊クリス・トーマス 
匠の記憶 2015年7月9日 
レポート 小原礼が語るアルバム “黒船 / Sadistic Mika Band” 
 
 
加藤和彦 クリス・トーマス Chris Thomas が「次のミカバンド Sadistic Mika Band のアルバムをプロデュースしたい」 
加藤和彦 クリス・トーマスと『黒船』に関係するいきさつ 
 
 
 
福井ミカ, 中村俊夫 / ミカのチャンス・ミーティング (1988) 
mika
エア・スタジオにバッドフィンガーのレコーディングを覗きに行きました。クリスからピート・ハムを紹介されて、彼が書いた Know One Knows という曲に私の声を入れようってことになったの。それで、私が歌詞を日本語に訳して間奏の部分で朗読したわけ。テイク・ワンでOKでしたよ。彼らも出来上がりを気に入ってくれましたね。 
 
中村俊夫 [宝島 1991年9月24日号 必殺! 名盤復刻人!!]  
「素敵な君」の中に入っている「ノーワン・ノーズ」で、日本語のセリフをしゃべているのは元サディスティック・ミカ・バンドのミカさんだけど、彼女から聞いた話によると、ピート・ハム自殺の前日に彼に会ったら、完全にノイローゼ状態で、"俺をひとりにしないでくれ" と泣きわめいていたそうだよ。  
 
福井ミカ / ラブ&キッス英国 (1996) 
Love & Kisses to England from MIKA (1996)
 
 
YMO - Nice Age (1981)  1:20 から ミカのナレーション 
「 ニュース速報。 [大麻不法所持によって逮捕され日本の留置場に勾留されているポール・マッカートニーこと] 22番は、今日で一週間たってしまったんですけれども、でももうそこにはいなくなって、彼は花のように姿を現します。Coming Up Like A Flower 」 
 


[Hit Chart / Radio Survey] Badfinger - Know One Knows

Badfinger - Know One Knows [Pete Ham] 
Know One Knows

JOQR局 Tokyo/Japan 文化放送 オール・ジャパン・ポップ20
1975/03/09    37位Know One Knows 初登場
1975/03/16    33位Know One Knows
1975/03/23    31位Know One Knows
1975/03/30    27位Know One Knows
1975/04/06    25位Know One Knows
1975/04/13    23位Know One Knows
1975/04/20    25位Know One Knows
1975/04/27    29位Know One Knows
1975/05/04    33位Know One Knows
 
当時の感覚としては、小ヒット
ラジオからもよく流れていた。
明日の風よりは下、ベイビーブルーと互角
って感じかなぁ。
 
ヒット中に死んでしまったんだなぁ。


STVradio 「ハイ!ダイヤルリクエストです」
JOWF 1975年間ランク 36位Know One Knows
  
 
ミカの解説 
ピートがある日、ミカに ”たのみたいことがあるんだけれど” といって、巾5センチはあると思われるノートを持ち出して、そしてこの曲を日本語に訳してくれっていうのでお手伝いをしたところ、クリスが何かトミーと相談していて、ミカバンドのあの最初の曲の様に話し声でちょっと読んでくれというので読んだところ、 "OK 録音したから" っていったの。あっというまの出来ごとで、これをシングル・カットし、アメリカ用にするとさわいでいるではありませんか。 
 
ミカバンドのあの最初の曲

 
 
 
 加藤ミカ / バッドフィンガー Badfinger Wish You Were Here 素敵な君 (1974) 

 
 あまり知られてない 誰も知らない のB面の謎 


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