1966年、Iveys が上京した時、マネージャーの Bill Collins から女性と関わることは厳しく禁じられていた。 しかし、Collins が Iveys を「ビッグ・ノイズ」へ売り込む際に Sue Wing という女性(ブッキングエージェント勤務。London でも顔が広かった)を招待するよう Dai Jenkins に要請し、それ以後ふたりは深い仲になってしまった。
1967年のある夜、ステージ終了後パークアベニューへ帰る他のメンバーと別れ、Dai は Sue の家へ向かった。次の日から、演奏位置がステージ中央からサイドへと変えられた。Collins によると他のメンバーの意向だというが、Dai には Collins が少しずつバンドから Dai を離れさせようと仕向けていると感じた。その後、Dai が故郷にいる兄のアルウィン(Wales 時代の Iveys のマネージャー)に手紙や電話でこの状況を伝え、7月14日の Swansea での公演の際に兄が現在の Dai とバンドの状況について問いただした。この際、兄は Collins に詰め寄り、殴りかかる寸前に Dai が割って入り、なんとかその場は収まった。しかし London へ帰る車中、Ron Griffiths も Pete Ham もそして一番の親友だった Mike Gibbins までもが Dai には一言も口を開いてくれなかったという。
7月23日、Collins は Dai の後任者はまだ誰と決まったわけではないが、これから Liverpool へ探しに行くと言い、Iveys の4人も同行した。到着したクラブには Tom Evans のバンドが出演しており、終了後に Tom と接触。その数日後には Tom が London にやって来た。このようなことから考えると、すでに「後任は Tom と決めていたのだと思う」と Dai は語っている。
Dai が Iveys の一員として最後に演奏したのは8月12日。そして、Tom が Iveys の一員として最初に演奏したのは8月20日。この間に Dai はパークアベニューを去ったのだが、その日、新メンバーの Tom を含む4人はリハーサルに励んでおり、Dai が別れの挨拶をしようと思っても部屋はロックされており、言葉どころか会うこともできなかった。
Iveys を辞めた Dai は London で音楽を続けたいと思っていた。それで Sue と一緒に London に残り、新しいバンドを探した。オーディションであるバンドに合格したものの、実際に一緒に演奏し、その Beach Boys 風のサウンドに「これはどうも違うんじゃないか」と思い、辞退した。その次に合格したのが Rupert's People だった。
Dai Jenkins が Rupert's People 在籍時に発売されたのは、シングル1枚だけだった。プロのバンドなのに移動用の車も壊れたきり代わりを用意してくれないなど、マネージメントの酷さにうんざりした Dai はしばらくしてバンドを辞めた。その後は妻になっていた Sue Wing とともに故郷の Swansea へ戻ることにした。
Sue は Swansea に戻ってからも以前と同じような職場に復帰した。ローカルの芸能エージェントで、そこは上京前の Iveys も世話になっていた会社だった。一方 Dai は自動車工として働いた。そんなある日、Sue はメンバー募集をしているバンドに出会った。The Power Stop Big Band というセミプロバンドで、
もともとは The Fleetwoods という名前のローカルバンドだったが、
名前を変えて再編成しているところで、リード・ギタリストを探していた。それで Sue が「主人は以前 Iveys でギターを・・・」と話すと、バンド側も Dai とは面識がないものの名前や Iveys 時代のことは知っていて、バンド自ら Dai に会いに来た。Dai はそのバンドのオーディションを受け、その日のうちにメンバーになった。
Dai はリズム・ギタリストだったが、The Power Stop ではリード・ギターとほとんどの曲でボーカルを担当した。5人編成のバンドで他のメンバーは、ベース、ドラムス、サックス、トランペットだった。この編成から想像がつくように、Chicago やBlood, Sweat & Tears の曲が得意だった。
Dai を加えた The Power Stop はBBCラジオに出演して生演奏したこともあったが、活動場所は主にサウス・ウェールズで、Dai 加入後には彼の兄のアルウィンがロード・マネージャーになり、そのまま2年ほど活動した。
すべてが順調だと思っていた。しかし突然、Dai はバンドをトリオにすると打ち明けられた。それで Dai は脱退し、フルタイムの自動車工になった。しばらくして自動車事故に巻き込まれ、同乗していた友人が亡くなるという事故に遭遇。そして Sue との離婚。これらが連続して起きたのだ。
1969年12月にふたりは離婚し、Sue は London に戻った。Iveys のメンバーとはデビュー前から友人だったので、ロンドンへ戻った後も彼女はパークアベニューを訪れていた。そして Mike Gibbins の当時のガールフレンド(後、結婚)の Gaynor の部屋にしばらく同居していた。その時、Gaynor は Sue がエスコート・ガールを始めたらしいことに気づいた。この噂は Badfinger にも伝わり、Pete Ham はこの話を基に曲を作った。
Sue Wing が亡くなったのは1973年。睡眠薬の摂り過ぎによる事故死なのか自殺なのかはっきりとはわからないが、それまでにも数回の自殺未遂があることから、自殺なのではないかとも言われている。
Dai Jenkins はその後再婚し、妻ジーンの故郷に転居して幸せに暮らしている。
★★★
1967年のある夜、ステージ終了後パークアベニューへ帰る他のメンバーと別れ、Dai は Sue の家へ向かった。次の日から、演奏位置がステージ中央からサイドへと変えられた。Collins によると他のメンバーの意向だというが、Dai には Collins が少しずつバンドから Dai を離れさせようと仕向けていると感じた。その後、Dai が故郷にいる兄のアルウィン(Wales 時代の Iveys のマネージャー)に手紙や電話でこの状況を伝え、7月14日の Swansea での公演の際に兄が現在の Dai とバンドの状況について問いただした。この際、兄は Collins に詰め寄り、殴りかかる寸前に Dai が割って入り、なんとかその場は収まった。しかし London へ帰る車中、Ron Griffiths も Pete Ham もそして一番の親友だった Mike Gibbins までもが Dai には一言も口を開いてくれなかったという。
7月23日、Collins は Dai の後任者はまだ誰と決まったわけではないが、これから Liverpool へ探しに行くと言い、Iveys の4人も同行した。到着したクラブには Tom Evans のバンドが出演しており、終了後に Tom と接触。その数日後には Tom が London にやって来た。このようなことから考えると、すでに「後任は Tom と決めていたのだと思う」と Dai は語っている。
Dai が Iveys の一員として最後に演奏したのは8月12日。そして、Tom が Iveys の一員として最初に演奏したのは8月20日。この間に Dai はパークアベニューを去ったのだが、その日、新メンバーの Tom を含む4人はリハーサルに励んでおり、Dai が別れの挨拶をしようと思っても部屋はロックされており、言葉どころか会うこともできなかった。
Iveys を辞めた Dai は London で音楽を続けたいと思っていた。それで Sue と一緒に London に残り、新しいバンドを探した。オーディションであるバンドに合格したものの、実際に一緒に演奏し、その Beach Boys 風のサウンドに「これはどうも違うんじゃないか」と思い、辞退した。その次に合格したのが Rupert's People だった。
Dai Jenkins が Rupert's People 在籍時に発売されたのは、シングル1枚だけだった。プロのバンドなのに移動用の車も壊れたきり代わりを用意してくれないなど、マネージメントの酷さにうんざりした Dai はしばらくしてバンドを辞めた。その後は妻になっていた Sue Wing とともに故郷の Swansea へ戻ることにした。
Sue は Swansea に戻ってからも以前と同じような職場に復帰した。ローカルの芸能エージェントで、そこは上京前の Iveys も世話になっていた会社だった。一方 Dai は自動車工として働いた。そんなある日、Sue はメンバー募集をしているバンドに出会った。The Power Stop Big Band というセミプロバンドで、
もともとは The Fleetwoods という名前のローカルバンドだったが、
名前を変えて再編成しているところで、リード・ギタリストを探していた。それで Sue が「主人は以前 Iveys でギターを・・・」と話すと、バンド側も Dai とは面識がないものの名前や Iveys 時代のことは知っていて、バンド自ら Dai に会いに来た。Dai はそのバンドのオーディションを受け、その日のうちにメンバーになった。
Dai はリズム・ギタリストだったが、The Power Stop ではリード・ギターとほとんどの曲でボーカルを担当した。5人編成のバンドで他のメンバーは、ベース、ドラムス、サックス、トランペットだった。この編成から想像がつくように、Chicago やBlood, Sweat & Tears の曲が得意だった。
Dai を加えた The Power Stop はBBCラジオに出演して生演奏したこともあったが、活動場所は主にサウス・ウェールズで、Dai 加入後には彼の兄のアルウィンがロード・マネージャーになり、そのまま2年ほど活動した。
すべてが順調だと思っていた。しかし突然、Dai はバンドをトリオにすると打ち明けられた。それで Dai は脱退し、フルタイムの自動車工になった。しばらくして自動車事故に巻き込まれ、同乗していた友人が亡くなるという事故に遭遇。そして Sue との離婚。これらが連続して起きたのだ。
1969年12月にふたりは離婚し、Sue は London に戻った。Iveys のメンバーとはデビュー前から友人だったので、ロンドンへ戻った後も彼女はパークアベニューを訪れていた。そして Mike Gibbins の当時のガールフレンド(後、結婚)の Gaynor の部屋にしばらく同居していた。その時、Gaynor は Sue がエスコート・ガールを始めたらしいことに気づいた。この噂は Badfinger にも伝わり、Pete Ham はこの話を基に曲を作った。
Sue Wing が亡くなったのは1973年。睡眠薬の摂り過ぎによる事故死なのか自殺なのかはっきりとはわからないが、それまでにも数回の自殺未遂があることから、自殺なのではないかとも言われている。
Dai Jenkins はその後再婚し、妻ジーンの故郷に転居して幸せに暮らしている。
★★★